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キリスト信徒やまひでの心の窓

キリスト信徒やまひでの心の窓

ほうとう息子

ルカによる福音書15章11節~24節(イエス様がお話になった「放蕩息子のたとえ」より)
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 二人の息子を持った父親がいた。
 父は子供たちと一緒に働いていた。
 やがて末子はお父さんのそばがイヤになった。

 「父さんボクは独立したい。自由がいいんだ。ねえ、財産を分けて。」

 父親は、子の願いを受け入れ、二人に財産分けをした。末子ははそれを持って遠い所へ行ってしまった。兄は父の元にとどまった。

 父からの財産をお金に換え、遠い町へ。
 キョロ、キョロ。
 あれ~どこへ入って行くの? それを元手に、一生懸命に働くのではなかったの? どうしても、楽な方に向かうのかな。
 彼は、「そこで放蕩の限りを尽くして、財産を無駄づかいしてしまった」(ルカ15:13)

 お金がなくなった頃、大きな飢饉がこの土地に起きて、働くことも、食べることにも、事欠くことになった。
 着るものもぼろぼろで、乞食同然になった。
 「豚の世話でもしなや」
 ついに豚と一緒に寝る。ああ、このいなごまめ(エサ)を食べるしかないなあ。

 ふと、父の顔が浮かんだ。
 「お父さん・・・・・」
 父の所には、雇い人が大勢いて、食べ物がたくさんあったなぁ。でも自分はもうここで飢え死にしそうだ。
 そうだ、帰ろう。あやまろう。マチガッテいたんだ。
 天に対しても、父に対しても、自分がまちがっていたと、伝えよう。
 もう息子と呼ばれる資格はありませんと、言おう。
 これからは雇い人の一人にして、使って下さい、とお願いするんだ。

 天を仰いで、涙をふいた。最後の力を出して、歩き始めた。
 何日歩いただろう。足には幾つもの豆ができた。豆は破れただろう。
 彼は棒切れを見つけて、それにすがった。

 見えた。父の家だ。ああなつかしい風。
 だれか走ってくる! 
 あれは、父だ。父が夢中で走ってくる。

 戸外にいた父親は息子を見つけた。父の心はあわれみにあふれた。おおっ、もう死んでいたと思っていたあの子がぁ、あの子がぁ、帰ってきたぁ。

 父は息子に駆け寄り、その首を抱き、キスした。

 (泣きながら)「お父さん、お父さん、わたしは天に対しても、またお父さんに対しても罪を犯しました。もう息子と呼ばれる資格はありません」

 いい、いい、そこまででいい。もう言うな。 
 大丈夫だ。おまえは今でもワタシの子だ。
 さあ、家に入りなさい。食事をしよう。

 「急いで一番良い服を持って来てこの子に着せ、手に指輪をはめてやり、足に履き物を履かせなさい。それから、肥えた子牛を連れてきてほふりなさい。食べて祝おう。この息子は、死んでいたのに生き返り、いなくなっていたのに見つかったからだ。」(ルカ15:22-24)

 父の心は愛にあふれていた。はじめに一緒にいた時は、べたべた表現しなかっただけだ。去って行った時も、愛していた。ずっと。そして子供が帰ってきた時、愛は泉のようにあふれ出した。
 父は神さま、去った子は人間。父はいつでも愛している。あなたが今、どこで何をしていても、どんな神を信じ、どんな思想にとらわれていても、神さまはあなたを愛している。だれでも父の愛の中に生きている。


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